トモミルキー・About


トモミルキー(Tomomilky)
The Basement Hotel / Co-Founder
「あたらしい働き方」アートディレクター・スピリチュアルカウンセラー・映像アーティスト

トモミルキー(Tomomi Katoh)
1981年生まれ(36歳)

トモミルキーは、東京都渋谷区出身のアーティスト。2017年7月から、The Basement HotelのCo-Founder(共同創業者)を務める。

1981年、自由奔放でよく喋り遊ぶサラリーマンの父とお嬢様育ちの神経質で内気な主婦の母との間に、東京都渋谷区広尾で生まれた。彼女は小学生の時に、父親から買ってもらったファミコンに興味を持ち、ゲーム機器をはじめとするパソコンやガジェット、最先端の機械遊びに触れる機会が多くなっていった。

彼女の父は高卒のシティーボーイである。彼自身は勉強が苦手だったため、彼女に対して勉強の方法や教育方針を語ることはなかった。後に「本当にどうやったら勉強が出来るようになるのかわからないんだ・・・」と話していた。

父は、幼少期の頃から遊び道具(ゲーム・たまごっち・ハイパーヨーヨー・けん玉・釣り・サッカーなど)を率先して買い、彼女と一緒にプレイをした。遊ぶ場所(青山こどもの城・有栖川公園・東急ハンズの手品コーナー・東急の屋上ゲームセンター・プラネタリウム・海)にも足繁く通った。父親の祖父も同じように遊びを教えてくれた。

教育熱心な母は「勉強して、いい大学に行って、いい就職先に入って、結婚をして、子供を作って、家庭に入るのがあなたの幸せなのよ」が口癖だったが、彼女にとっては学校の勉強は苦痛以外の何者でもなく成績は常に下から数えた方が早かった。美術と音楽だけは例外で、絵は色使いのセンスを認められ入選を果たす。音楽ではリコーダーのテストでいつもなぜかトップだった。ブラスバンドでは歯並びのよさでオーボエになったが、やりたい楽器はサックスまたはコントラバスだったので練習不足で下手くそだった。進学校の高校受験は本人が予想していた通りあっさり失敗している。彼女が進学校に落ちたタイミングで、娘の人生はたいしたものにならないと、母は娘の人生に期待するのをやめたという。

18歳の頃、高校を卒業と同時に父を頼って一人暮らしを始める。靴か製菓の学校に行く予定だったが、資金を出してもらえず諦めることに。やりたいことがわからない気持ちを抱えたまま、露頭に迷う。求人雑誌を毎週読み漁り、コンビニやゲームデバッガー含む様々な数多くのアルバイトをする日々が23歳まで続いた。

人嫌いのため接客業に限界を感じていたある日の夜中に、眺めていたテレビでWEBデザイナーという職業を初めて知る。パソコンを使ってデザインをするというキーワードに惹きつけられたのと、MacBookを持っていたのがキッカケとなり、WEBの専門学校に通い始めた。

25歳の頃、渋谷にあるデザイン会社のWEBデザイナーアシスタントとして、WEB業界に入る。デザインをやっても、コーディングをやっても失敗が多く、上司からは「あなたに何を任せたらいいのか実はよくわからない」と言われる始末だった。近くの席にいた同僚に、映像や映画、動画撮影や編集の話を聞くのが何よりも楽しかったが、新人だった彼女はWEBデザイナーとして力をつけないといけないと思い込み、後にのめりこむ映像の世界には気がつかずにいた。WEBデザインを頑張ろうと思えば思うほど結果は出ず、会社がオンラインショップ運営に力を入れるタイミングで退職する。

彼女が退職後に目をつけたのは、WEB業界で流行っていたFlashだった。動きのあるデザイン表現が、大好きなゲームの世界と似ていた。Flashを習得する目的で、六本木にあるデザイン会社で働き始める。Flashの知識も経験もない彼女であったが、奇跡的に面接に通った。普段からWEBサイトを見るのが好きで、素敵なサイトが見つかると制作会社を調べ、制作者を調べ、制作者がどうやってスキルを身につけているのか、どういう暮らしをしているかまでを深く掘り下げ、気になるとねちっこく追いかけ続けるクセがあった(友人からはドン引きされる)。掘り下げクセによって培われた「異常に高い何が良いのか微妙なのかを見極めるスキル」が、面接時にただ大好きなサイトを語り尽くしただけで、担当者に不思議な説得力とインパクトを与えたのだった。

Flashに憧れて入社をしたものの、初めてのよくわからないプログラムの羅列と数字や計算、バグのオンパレードに苦しめられ、プロジェクトに向き合うのも会社に行くのも恐ろしくなる時期を迎える。Flashの解説書を読んでも全く頭に入ってはこず、何がやりたいのか、合っているのか、わからないループにどハマりした。Flashサイトを作るのは嫌だけど見るのは好き。彼女はFlashが教えてくれている、動くイメージへのときめき、映像の世界が好きだという結論までは到達できずにいた。上司からの「今後のキャリアを真剣に考えてみた方がいいよ」という言葉にノックアウトされ、静かに退職をする。

27歳の時に、会社という組織で働くのを断念しいきなり独立をする。人と話すのがもともと苦手だったので、家でひっそりとできるパソコンを使った仕事として、セレクトショップの実店舗経営(2店舗まで拡大)とインターネット販売を始める。店舗プロデュース、バイイング、スタイリスト、モデル撮影、商品撮影、ネット運営を手掛け、月の売り上げが数百万円にのぼる結果を出したが、2年後、大手ネットショップの波に彼女の小さな店は太刀打ちできなくなり、廃業。18時間以上の勤務時間に心が折れ、精神的に追い込まれ、半年間ほど母のいる実家で療養する。

社会復帰に向かう途中で、今後の仕事に悩み始める。小さな一歩として、人嫌いを克服するためにエキストラに挑戦をした。小さい役ながら演じる楽しさと物語の世界に引きこまれたのだった。彼女は物語を作ってみたいと考えるようになる。時間があるので、映画を毎日見るようになると、動くイメージの世界、映像をやってみたいと気づく。脚本家という仕事に惹かれたのは30歳の時。脚本家になれば物語と映像の世界を作れると思ったのだ。

31歳の頃、映像のワークショップにいくつか参加をして自信をつけた後に、映像制作会社で働き始める。映像編集のイロハを実際の仕事を体験しつつ学びながら、プロジェクトを任されるようになる。WEBデザインで学んだ基礎が映像制作でも活かされ、彼女がつくる映像素材はひとつひとつが、映画のドラマティックな場面のようだった。脚本に専念するために1年で退職。臨機応変に時間の調整ができる映像のアルバイトを始める。

32歳の時に、念願だった脚本の学校に通い始める。学校で脚本を提出すると「内容にリアリティーがない」と言われる機会が度々あった。実際の話、人嫌いだったために人を避けて生きてきた。彼女は人を好きになるためには、自分を好きにならなければいけないんじゃないか?と、ふと心のどこかで思うようになる。スティーブ・ジョブスの本で禅の世界を知り、潜在意識に興味を持ったのと、自分と会話をするために生まれて初めてタロットカードを使い始める(カードマジックが好きなので、たまたまタロットカードを選んだと後に彼女は話している)。

シェアハウスに住んでいた頃、タロットカードを使っていると住人を占う機会が増えていった。住人のひとりに「トモミルキーは人の話を聞くのも上手いしセンスあるから、占い館の面接でも受けてみたらどうか?」と話を持ちかけられる。 33歳になる1ヶ月前くらいのことだった。ダメでもともとで受けた面接に受かり、占い師デビューを果たす。

占いの経験はど素人同然だったが、半年ほどで頭角を現し、予約満席が続く人気トップ占い師の仲間入りを果たす。人の悩みを占うことで、自然と自分とも向き合わざるを得なくなった。人間って面白いな、自分って面白いなと思えるようにもなった。ストレスにより13個の円形脱毛症を発症してからは、占い師としてのペースを落とし、映像やカウンセリングの勉強に使う時間を増やしていった。

35歳の9月、アーティストとして仕事をしていきたいと強く思うようになり、The Basement Hotel の土台を作り始める。占い館では、人とのコミュニケーションの中にヒントが全て詰まっていると感じ、カウンセリング中心のスタイルで占いをしていた。客層は、アーティスト、クリエイター、フリーランサー、仕事の悩みの方から支持をされているのは、今現在と変わらない。

2017年4月に活動場所 The Basement Hotel を仮オープン。2017年7月23日にパートナーの蓮水とともに正式オープンさせる。ベースメントホテルとは、地下のホテル。人の見えない魅力を掘り下げ、あらわにしたいという願望がこめられている。10,000人以上の仕事と人間関係の悩みと向き合った占い館を2017年11月末退職。

2018年1月に7年分の彼女の経験を全て凝縮し作り上げた、あたらしい働き方講座「仕事デザインレッスン」を公開。

 


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